ガラハッド小林の聖杯探索

アラサーの既婚男。日々是修行をモットーに趣味に生きる。

HAN SOLOに浸る一日

みなさんこんばんは!久しぶりのガラハッド小林の聖杯探索の時間だ。


今日はハンソロに浸った一日を過ごしたからおすそ分けしよう。


今更ながらガラハッド小林はスターウォーズを見て育った。厳密に言うとスターウォーズ世代ではないが、なぜか幼少期からEP4-6のビデオ(!)を繰り返し見ていた。

そして、あれは小学生であったろうか。子供ながらにEP1の期待ハズレ感を残念に思った。ライトセーバーバトルは全6作の中でも秀逸であると思うが他がダメすぎた。

EP7以降の話はNG🙅‍♂️


話を戻そう。

EP7、8は個人的にはスターウォーズではなかったが、一昨年のローグワンは興奮してしまった。世界観がよく出ていてこれはいいと思った。

だからアメリカで酷評されていても、同じサイドストーリーである今作は少し楽しみにしていた。


オープニング、いきなり文字での説明が多すぎてガラハッド小林の頭は困惑。あ、これはダメな匂い。

席が悪かったのかスピーダーでのカーアクションが早すぎて目がついて行かない。

惑星コレリアを脱出するシーンくらいから帝国軍の香りが出てきてスターウォーズ感が増して行く。それに従い映画にやっと入り込めた。


そこからはなかなか楽しめた。

EP4で出てきた「ケッセルラン」の詳細な意味が語られたり、昔ゲームでやった「モー」が出てきたりスターウォーズをまあまあ好きな人にはすごく楽しめる内容であったように思える。ただ超ディープに好きな人からは不満続出であろう。オタクとはそう言うものなのだ。

そしてスターウォーズがわからない人にはイマイチな映画かもしれない。

興行収入的にはイマサンくらいであろうか。


総合的には75点でblulayは購入すると思う。


なぜあのキャラを最後に出したのか、はっきりいって不要である。




某DISNEYに買収されてからいろいろな規制が入ってメインストーリーに魅力がなくなったり、人種差別にうるさい世の中になったことでヒーローが女性、黒人を多目に使うわざとらしさに辟易としていた。もちろん女性、黒人が悪いのではないが、そういった概念はスターウォーズの中に適応しないでいただきたい。

なんなら主人公が人間(ハンソロはコレリア人)である必要はなくジャバやチューバッカなどのエイリアンであってもよい。究極的にはホモサピエンスが一切登場しなくてもよい。

EP7以降の「フォースは誰にでも」のスローガンは個人的にはEP4-6の神話的要素を排除しているようにしか思えない。


ギリシャ神話も突き詰めれば神の家族の話であるように、スターウォーズは家族の話であり神話なのである。スペースファンタジーオペラなのだ。

教徒からすれば、キリスト教イスラム教と同じ宗教なのである。教祖は特別な才能があるから崇めるのである。


競争社会ではなく某歌のようにみんなが特別なオンリーワンという世の中になってきた。はっきり言って異常である。

誰でもフォースは差別には繋がらないかもしれないがはっきり言って魅力はない。最近の映画は本当に夢がない。世の中と同じように閉塞感が充満している。BACK TO THE FUTUREのような映画はできないものか。


また昔のように女性、黒人、差別、そういった俗っぽい話とは違う次元でも映画を作って欲しいと思う今日この頃である。