ガラハッド小林の聖杯探索

アラサーの既婚男。日々是修行をモットーに趣味に生きる。

レディプレイヤーワン講評 マーリン北村編

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今日はガラハッド小林の唯一無二の親友、マーリン北村から素敵なメッセージが届いたので共有したい。




以下マーリン北村から皆様へのプレゼントである。





ガラハッド小林に頼まれたのでレディプレイヤーワンの感想をかいてみよう。

あとは少し個人的な考察を。




一言でいえば「1つの完成した映画」といったところ。ストーリー、映像、世界観、いずれも高いクオリティでまとまっている。批判的な声といえば、ストーリーが面白くないというぐらいしか聞かない。これについては考察で述べよう。


1番のウリである様々な作品のキャラクター要素はもちろん、実際2045年には現実になっているかもしれないと感じさせる近未来の世界観が観客を映画の中に引きずり込んでくれる。

登場人物も「現実は冴えないがゲーム世界では凄腕プレイヤー」や「有名プレイヤーだが現実は11歳の少年」などオンラインの世界を活かした魅力的なものばかりで、「自分だったらどんな風にプレイするだろうか?」と思わせてくれる。このあたりはまさに「レディプレイヤーワン」の名前を冠するだけはあるといったところ。

オンラインと現実の2つの世界による問題点も表現されており(登場人物もそのあたりで苦悩するわけだが)、色々考えさせられるところも多い。

そのような意味ではすべての世代の人々にオススメできる映画だろう。きっと10年後、20年後の自分が見てみれば、また違う楽しみ方ができると思える。


もしかしたら2045年にはこの映画を見なくても「現実」で体験できるかもしれないが…




さてここで上で少し語った「ストーリーが面白くない」という批判について考察したいと思う。


実際映画のストーリーはキャラクター含め単純ではある。主人公は「現実は冴えないがゲーム世界では凄腕プレイヤー」でストーリーの中で恋人を含めた仲間との絆を深めていきつつ、ゲームの世界を支配しようとする「悪い」会社を仲間とともに打倒し世界を守る。

誰かが裏切る事もないし、主人公には基本的には追い風しか吹いていないとも言える。もちろん主人公にも悩ましい現実やそれと向き合わなかったが故の子供っぽさはあるが、これらは物語の中で主人公を成長させる要素でしかなく、ある種引き立て役といっていい。


こうやって書いてみると、王道も王道でどんでん返しも特にない。実際幾らか映画の鑑賞中に先読みできる展開もあった。

ただこういった点を批判するのは2つのポイントで間違っていると思う。


1つ目は純粋に物語の起伏がそれ自体の面白さを決めるのではないということ。少し考えてみてほしい。この映画で主人公がゲームの世界を救ったものの、現実は苦しいままだったら?、仲間の誰かが敵の一員で裏切ったりしたら?

その映画は面白いだろうか?

映画という時間制限の中にまとめるのも難しいだろうが、そもそもそういった意外性をこの映画に求めるのは間違いだ。

この映画の面白さは期待通りに事が進むという安心感にある。

もちろん敵としてメカゴジラが出てきた場面ではハラハラする。しかし心の底でこう思ってもいる。

「きっと倒せる」

こういうのは小さい頃の戦隊モノなんかを見ていた頃の気持ちと一緒だ。

さあここで2つ目のポイントにつながる。


こういった感情を最も懐きそうなキャラクターは誰だろうか?


そうゲームの創作者、ハリデーだ。


僕はこの映画の中心はハリデーだと思っている。それはゲームを作ったからという設定的なものではない。

この映画はハリデーの見たいものなのだ。

そう考えてみると新たに見えてくるものもある。


まずはハリデーという人物を考えてみよう。


彼は映画の中でも言っているし、見ればわかるが、人付き合いが苦手で1人で色んなゲームや映画を楽しむのが好きな人だ。しかも自分独自の楽しみ方で。つまりコミュ力がない生粋のオタクなのだ。

しかし彼は親友であるモローと出会い、映画の舞台となるオアシスというゲーム世界を生み出す。これもハリデーの言葉だが、オアシスなら他人ともっと仲良くなれると思ったのだ。性別、年齢、物理的な距離、そういったものとは無関係に関わり合える世界が彼は欲しかった。

しかし現実は甘くない。オアシスを維持するには商業的な考えが必要になる。(維持費がそもそもいるだろうし)

その事を親友のモローは理解していたが、ハリデーはオアシスが金儲けのための世界になるのがどうしても嫌だった。そしてモローをオアシスの運営から外してしまう。

このことをハリデーは映画の中でも1番悔やんでいる(好きな脈アリの女性に告白できなかったことよりも!)し、実際これがかなり悪手だと思う。なぜなら実際ある程度金が必要だからだ。モローが味方のままならその辺りをうまい具合に調節してハリデーの理想の世界を守ってくれたかもしれないが、映画の中ではIOIという企業がしっかりと金儲けに利用してしまっている。


つまりハリデーは子供だったのだ。妥協できずに親友と喧嘩して、そのまま仲直りできずに死んでしまった。しかも親友と喧嘩してまで守りたかった世界は金儲けに利用されようとしている。

だから自分が死んだ後にオアシスを守ってくれる人を求めてイースターエッグを仕込むことで物語が始まる。


こういったハリデーの性格を通すと主人公であるウェイドの王道さも納得だろう。要はウェイドはハリデーの理想だ。

子供心を忘れず、仲間に恵まれ、恋人にも勇気を出して告白できる!

そんなウェイドこそがまさにハリデーのなりたかった人間であり、オアシスを託すにふさわしい人間なのだ。


こう見るとウェイドとハリデーがオアシスで出会うシーンは非常に深い。

ハリデーは「理想の世界を欲したけれど、現実をないがしろにしてはいけないと気づいた」という。これは親友よりオアシスを優先したことをはじめとしてハリデー自身の後悔を表している。

そして実際ウェイドは現実から逃れるためにオアシスをやっている。現実に友人はいない(少なくとも映画にはオアシスを通さない友人は登場しない)し、恋人になるサマンサからは遊びでやってるんじゃないと怒られるシーンもある。

ハリデーはウェイドに自分と同じ過ちをしないで欲しかったのだ。

オアシスは楽しいが、それは現実の友人や家族があってこそだと。

そういったアドバイスや仲間たちとの関係の中でウェイドは成長し、真にハリデーの理想たる人物となるのがこの映画だと思う。


長くなってしまったが、2つ目のポイント。

この映画を楽しめるかどうかは、どれがけハリデーに共感できるか、だ。

面白くないという人たちはきっとハリデーの気持ちがわからない人間なのだ。

そういう意味でも確かにオタク向けな映画かもしれない。ガンダムゴジラが好きなだけじゃなく内面もオタク気質であるとより楽しめるのだ。


考えてみればハリデーはもっと上手くやる事もできただろう。素直にモローに謝ってもう一度一緒にオアシスを守ってもらえばいい。ただハリデーにはできなかった。何故かは語られないが、モローに申し訳なくて合わせる顔がないとも言えるし、僕としてはきっと「なんて声をかければいいかわからなかった」なんてハリデーなら言うと思う。それぐらいハリデーは不器用なんだ。

そういうところに共感できるとこの映画はすごく楽しい。


オタク(最近は広い意味で使われてあんまりハリデーみたいな人はいないかもしれないが)はある種、孤独なものだ。

そもそもが他人と違う感性なのか、そういう風になってしまうのかわからないが、1つの作品に深く入れ込んだり、ゲームなんかは他人と違う遊び方をしてしまう(レースを逆走したり、マップをくまなく探したり!)。

そして多くの場合、そういった部分は理解されない。だからこそオタクはオタク同士で集う。

最近はネットのおかげで自分の仲間を見つけるのは昔よりきっと簡単だろうけど、そういった孤独に覚えのある人はたくさんいると思う。

そういう人にこそ、この映画はオススメなのかもしれない。




マーリン北村